雑記・印象ノート (理系に限らずいろいろな分野での印象に残った言葉の備忘録デス)        戻る
・2023.05.18:河合隼雄:影と創造性(「影の現象学」)
・2022.07.22:伏見康治:「私の研究遍歴」
・2020.08.01:益川敏英:⑰調べろ(「僕はこうして科学者になった」)
・2020.04.08:栗林忠道:「硫黄島からの手紙」
・2019.02.17:福永光司:惑える人々(「荘子-古代中国の実存主義」)
・2019.01.24:福永光司(みつじ):荘子の人間理解(「荘子-古代中国の実存主義」)
・2019.01.02:福永光司:勝負に勝つ秘訣-「木鶏」の哲学(「老荘に学ぶ人間学」)
・2018.12.15:山川宗玄:「おじいさん・おばあさんとは何か」(「無門関提唱」)
・2018.12.01:有馬頼底・対本宗訓:「師と向き合う」(「禅の逆襲 生老病死のなかの仏教」)
・2018.05.27:平田精耕:関牧翁老師をしのぶ(「雪月花つれづれ」)
・2017.11.27:荒金天倫:「現代を生きる」◇脚下を照顧せよ」
・2017.11.05:関牧翁:「よく生きることは,よく死ぬことなり」(「現代の覚者たち」)
・2017.06.09:釈撤宗:京都新聞・現代のことば「生命のストーリー」
・2016.11.07:谷沢永一:「五輪書の読み方」邪道に走らない”自然(じねん)の道”とは
・2016.10.02:山本七平:「空気の研究」
・2016.05.13:河合隼雄:「人の心はどこまでわかるか」
2016.03.24:茨木のり子:「ある一行」、詩集「倚りかからず」より
・2016.02.11:木村達雄:「勉強と研究の違い(研究の波動)」
・2015.12.30:
堀口大學訳・「ヴァレリー文学論・神話(P.97~98) 
        
・2015.11.21:吉田兼好:「徒然草」”自分を知る”(百三十四段)
・2015.10.08:イワン・ツルゲーネフ:「休息の祝福」
・2015.09.05:内山興正:「大空が語りかける」“大空”
・2015.08.09:
上田正昭:京都新聞・天眼「まことの鎮魂
・2015.05.12:内山興正:興正発句詩鈔「大空が語りかける ・天地一杯」
・2015.03.26:秋月龍珉・柳瀬有禅:坐禅に生きた古仏耕山 - 加藤耕山老師随聞記
・2015.03.15:谷沢永一・渡部昇一:「宗教とオカルト」の時代を生きる知恵
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・2015.01.02:山内恭彦:一般力学・第1版の序文 “常時の用”
・2014.12.31:MARGENAU & MURPHY:物理と化学のための数学Ⅰ 著者のことば “勇敢な学生”
・2014.12.30:R・P・Fynman「ファインマンの手紙:A.V.セシャギリへ」“気楽にまずはわかることだけ”
・2014.12.12:河合隼雄・中沢新一:「ブッダの夢」
・2014.12.05:リチャード・P・ファインマン(渡会圭子・訳):「ファインマンの手紙」“物理学と人格”
・2014.11.15:中沢新一:「三万年の死の教え」
・2014.11.09:岸田繁:京都新聞・現代の言葉「没個性のすすめ」
・2014.11.04:立木康介:京都新聞・文化欄「露出する心の時代]
・2014.10.07:広上淳一:京都新聞夕刊・現代のことば 「言葉の暴力]
・2014.10.04:大森曹玄:「参禅入門」“念仏婆さん”
・2014.09.26:大森曹玄:「心眼」“大いなる生命の営み”
・2014.09.24:永田和宏:一歩先のあなたへ「自己評価という落とし穴」
・2014.09.21:吉本隆明:「ひきこもれ」

・2014.09.18:日高敏隆:「セミたちと温暖化」 “カラス対策”
・2014.09.16:
山内恭彦:「雑叢 一物理屋の随想」
・2014.09.14:内山興正:「大空が語りかける」“深さ”
・2014.09.13:朝永振一郎:「滞独日記」一九三八年四月九日~一九三九年五月二十八日
・2014.09.12:内山興正:「自己」~宗派でない宗教~ “第四話・自己について” 
・2014.09.12:朝永振一郎:「学問をする姿勢」 “原子研究の町-プリンストンの一年-”
・2014.09.11:藤原正彦:「日本人の矜持」 ”「日本人らしさ」をつくる日本語教育” 斉藤孝氏との対話
・2014.09.10:昭和六十二年二月四日・NHK教育テレビ 「こころの時代」”達磨”
 

<河合隼雄:「影の現象学」影と創造性>   TOP
 ある個人の心の中に生じる創造過程を簡単に記述してみると次のようになるだろう。まず,その人は新しい考えや,知識の新しい組合せを試みるために,意識的努力を傾けるであろう。しかし,そのような試みがどうしても無駄だと解ったとき,その人の意識的な集中力は衰え始め,むしろ外見的にはぼんやりとした状態となってくる。このとき,今まで自我によって使用されていた心的エネルギーが退行を生じ,それは無意識の方に流れてゆく。このようなときは,その人は一種の混沌の状態を体験するわけであり,まったく馬鹿げた考えや,幼稚な思いつきや空想が心の中をよぎる。そこで,その人はその馬鹿げて見える考えを簡単に否定せず,自由に動くにまかせていると,そのあるものはだんだんと力をもってきて,自我の存在をおびやかすほどにもなってくる。
 ここに意識と無意識との対立が生じるが,それをそのままで長く耐えることが大切である。この対立関係を中心としながらも,無意識の力は相変わらずはたらき,様相を変化せしめたり,また新しい内容を出現せしめたりする。そのうちに,これらの対立を超える調和が発見され,対立する両者の片方が否定されることによる決定ではなく,両者を生かす形での統合の道がひらけてくる。ここに創造に秘密がある。このとき,今まで無意識内に逆流していたエネルギーは反転して自我のほうに流れはじめ,ここに再び力を得た自我は,新しい統合の道を現実とのかかわりのなかで堅めてゆくことになる。

◎感想:
この文章を読んだとき,日本が誇る天才数学者岡潔博士(1901~78)が「多変数解析函数について」の第1論文の内容を発見されたときの経緯を想いだしました。上述の「創造の秘密」の具体的事例をそこに見ることができます。

岡潔「日本のこころ」S.56,講談社文庫より抜粋・要約すると次のようです。

1932年にフランスの留学から帰り,多変数関数論を専攻することに決めた岡は,1934年に出版されたベンケ=トゥルレン共著の『多変数解析関数論について』というこの分野の詳細な文献目録を入手します。目録にあげられている主要論文の要点をみて自分でやれるものはすべて自分で解き,直接文献に当たらねばならないものだけ京大や阪大へ行って調べ,約二ヶ月かけて論文を読み解きし,そこに三つの中心的な問題が未解決のまま残されていることを見出します。これらの問題が一つの山脈の形できわめて明瞭に見えてきたので,この山脈を登ろうととりかかります。しかし,流石に未解決問題として残っているだけのことはあり,最初の手がかり,足がかり,第一歩の登り口がさっぱり見つからず,毎朝,あの手この手と方法,手段を変えて試行します。やり始めた頃は楽しかった。しかし,連想力,想像力,構想力を総動員して取り組むものの一向に手がかりは見つからない。こんなことが三ヶ月も続けばもうどんな無茶な,どんな荒唐無稽な試みも考えられなくなってきて,それでも無理にやっていると,はじめの十分間ほどはよいが,あとはどんなに気を張っていても眠くなってしまうという始末。見晴らしの良い土地に転居し,気分一新して取り組むが事態は一向に変わらず。このような状態にいるとき,親友中谷治宇二郎氏の兄である物理学者で北海道大学教授の中谷宇吉郎氏(「雪は天から送られた手紙である」の言葉で有名)から北海道への誘いを受けます。勤務していた広島文理大も夏休みに入ったのでさっそく招待に応じ,北大理学部のもと応接室だった部屋を借りて研究を続けることに。

 『応接室だけに立派なソファーがあり,これにもたれて寝ていることが多くて北大の連中にも評判になり,とうとう数学者吉田洋一氏の令夫人で英文学者の吉田勝江さんに嗜眠性脳炎(しみんせいのうえん)というあだ名をつけられてしまった。
 ところが,九月にはいってそろそろ帰らねばと思っていたとき,中谷さんの家で朝食をよばれたあと,隣の応接室に坐って考えるともなく考えているうちに,だんだん考えが一つの方向に向いて内容がはっきりしてきた。二時間半ほどこうして坐っているうちに,どこをどうやればよいかがすっかりわかった。わかったのは刹那である。疑いは影もささず,悦びは数日後の帰りの汽車の中にまで尾を引いた。これは発見の鋭い悦びではなく,重荷のとれた身軽さである。
 私はこの翌年から「多変数解析函数論」という表題で二年に一つぐらいの割合で論文を発表することになるが,第五番目の論文まではこのときに見えたものを元にして書いたものである,六番目に取り扱った問題はすでに明白に見えていたのである。
 全くわからないという状態が続いたこと,その後に眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと,これが発見にとって大切なことだったに違いない。(中略)だからもうやり方がなくなったからといってやめてはいけないので,意識の下層にかくれたものが徐々に成熟して表層にあらわれるのを待たなければならない。そして表層に出てきた時はもう自然に問題は解決されている。』

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<伏見康治:「私の研究遍歴」伏見康治著作集8>   TOP
物理学上の大問題はまず大部分重箱の隅をせせるようなところにないことは明らかであります。けれども科学者が世人の知らない間に大きな仕事をしとげるのは一見つまらない瑣末事をこつこと地道に続けるところにあることもまた確かであります。

◎感想:
朝永博士の滞独日記に書かれていますが,恩師仁科博士からの返信で
「ともかくも気を長くして健康に注意して、せいぜい運がやってくるように努力するよりほかはありません。」
という言葉に凝縮されますね。何事も運・鈍・根ということでしょうか。

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<益川敏英:⑰調べろ(「僕はこうして科学者になった」)>   TOP
数学の講義で出合った物理や数学の好きな仲間たち。似た者同士だから自然にグループができ,「DEPHIO(デフィオ)の会」と名乗った。自分たちにとって英雄のような六人の学者,ディラック,アインシュタイン,ポーリング,ヒルベルト,インゴールド,オパーリンの頭文字をとってつけた名前だ。寄ると触ると背伸びばかりして,俺たちにかなうものはいないとばかりに大学内を闊歩した。
 先生をいじめてやろうと,メンバーで教官室にいっていろいろ質問もした。敬遠して逃げ出す先生もいたが,中野藤生(※)という若い教授のところに行ったときはちょっと違った。質問すると,「そんなこと急に聞かれたって分からん」と,椅子にふんぞりかえったまま堂々と威張って答える。さらに聞くと,「これを貸してやるから自分で調べろ」と本を突き出された。教師と研究者は違うのだ,とそのとき思った。
 教師は知識を売る仕事だから物事を知っているかどうかが重要だが,研究者は違う。知らなければ調べればいい。研究者というものを初めて見た気がした。私たちは了解もなく中野教授を顧問に任命し,それからもいろいろ教わった。

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※中野藤生:名古屋大学名誉教授。1922-2009。統計力学者。1955年発表の「電気伝導の公式」で世界的な注目を浴びる。線形応答理論への先駆的寄与で知られる。

◎感想:私も生意気盛りな学生時代,似たようなことをしていた経験があります。もっとも背伸びして大学内を闊歩したことはありませんが。よく一人で教官室に入り込み,いろいろな質問をぶつけては教官を煩わせた。当の本人は疑問を解消したい一心で真摯に質問をぶつけるのだから先生の方もその対応に困られたことでしょう。いまから思えば汗顔ものです。あるとき,気の合う仲間と数学の教官(助教授)の部屋に行き,受講中の微分方程式のことで質問しました。そのときの先生の態度が未だに印象に残っています。そんな些細なことは気にするなとばかり,ご自分が研究なさっている分野の仕事を話され,フランス語で書かれた論文の草稿などを見せられた。何を話されているのかサッパリわからず,只々ポカ~ンと聞き入っていたことを思いだします。
    「そんなこと急に聞かれたって分からん」 「自分で調べろ」
まさに名言ですね。
    「椅子にふんぞりかえったまま堂々と威張って答える。」
大学の先生ともなればご自分の専門領域のことなら何でも知っていると特に若い学生などは思い勝ちですが,どっこいそんな単純なものではない。分からないことの方が圧倒的に多いのが現実です。上の名言はそのあたりの事情を鋭く指摘していますね。

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<栗林忠道:「硫黄島からの手紙」>   TOP
何をするにしても意志の力即ち精神力が一番大切であるから、強固な精神力を養うことを絶えず考えなくてはいけない。そして努力しなければいけない。(略)精神力を養うことは、何も大したことではない。日常の生活で己の我儘を封じることが出来れば其の目的は半ば達せられる。「朝眠くても時間が来たらガバッと跳ね起きる」只々其の事だけでも目的の一部が達せられる。父は一日だって何時までも寝て居ると云う様な我儘はしなかった。其の外何でもキチンキチンと一分も間違いない様に物事をやってのけたが、簡単の様であって中々出来ないものだと思うがそれをやったのだ。

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◎感想:栗林中将は太平洋戦争末期の激戦地となった硫黄島の守備隊総司令官をつとめた人で、クリント・イーストウッドが監督した映画『硫黄島からの手紙』で俳優の渡辺謙がその役を演じていたのをご記憶のムキも多いだろう。小生もその映画をみて、栗林中将という人の生きざまに感銘を受けた一人である。
最後の総攻撃にあたって残存部隊に「最後ノ一兵トナルモ飽ク迄決死敢闘スベシ」と命令を発し、『予ハ常ニ諸子ノ先頭ニアリ』で結んでいる。その通りに、抜刀して残存将兵400名の先頭に立ち、米軍が占領している第1・第2飛行場に突入し、進撃中に右大腿部に重傷を負い、その場で自決したとされる。
上の文はそのような気骨のある栗林中将が長男の太郎氏に宛てた手紙の一部である。
「精神力を養うことは、何も大したことではない」というくだりは、大袈裟に考えるなよ、キチンキチンと日常のやるべきことをこなせるように普段から鍛錬していけばいいのだよと、噛んで含んで諭すように言われているようだ。

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<福永光司:惑える人々(「荘子-古代中国の実存主義」)>   TOP
人生とは何か,自己とは本来いかなる存在なのか,という根源的な問いに対する把握の明確さである。
 この把握が明確でないとき,人間は「安からざるところに安んじ,安きところに安んじない」というおおいなる惑いの中に己の人生を見失う。款啓(かんけい)寡聞の民,孫休の歎きがその適例である。
孫休(そんきゅう)という男がその師の篇慶子(へんけいし)の門を訪ねて訴えた。
 「わたくしは郷里にいても不道徳だという悪評も聞かず,人生の危難にのぞんでも勇気がないとは言わせないつもりです。にもかかわらず,耕作すれば凶作つづき,役人になれば時世にあわず,郷里では除(の)け者にあれ,町では追放され,ふんだりけったりの人生です。私が天に対して何の罪を犯しているというのでしょう。あまりにも過酷な私の運命ではありませんか。」
篇慶子は答えた。
 「お前はかの至人(しじん)(最強の人生を生きる人間)がどのように身を処してゆくのか,よく知っているはずだ。至人は己の肝胆(こころ)を忘れ耳目を遣(わす)れ,無心になって塵垢(うきよ)の外に彷徨し,俗事を捨てた生活に逍遥(しょうよう)するのである。いわゆる『為して恃(たの)まず,長じて宰(さい)せず』(万事を行ないながら己の力を誇らず,万物を生成化育しながら支配者づらをしない)である。
ところが,今お前はどうだ。少しばかりの知識をひけらかして愚者どもを驚かし,己の素行をつくろって他人の不道徳をあばきたて,昭昭乎(あかあか)と日月の光でも掲(かか)げてゆくように自分を誇示している。お前のような男は,五体そろって人なみな恰好をし,片輪者にもならずに人間の数に入っているだけでも,まったく儲けものだ。それを天の運命を怨むなど馬鹿も休み休みいうがよい。とっとと出て往ってくれ。」
孫休が出ていくと,篇慶子は部屋に返って席についたが,しばらくすると天を仰いで嘆息した。そばにいた弟子が,「先生,どうして嘆息されるのですが」ときくと,篇慶子は答えた。
 「さきほど孫休がやって来たよ。わたしは彼に至人の徳がどんなものか話してきかせたが,あの男,おったまげて途方に暮れてしまいはせぬかと心配しているのだ。
    (略)
いま,あの孫休は,ちっぽけな款(あな)しか啓(あ)いていない,まことに見識の狭い男だ。この男に私が至人の徳を話してきかせたのは,たとえてみれば小さな鼠(ねずみ)を載せるのに大きな馬車をつかい,鴳(すずめ)に聞かせるのに鐘太鼓をはやしたてるようなものだ。おったまげずにすむものか。」

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感想:禅の本を読んでいるような気がした。もっとも,”禅は道教の影響を受けて成立していて、老荘思想の上に乗ったともいえます。達磨大師が修行した嵩山(すうざん)は、もともと道教の聖地で、臨済宗は道教をベースにして生まれ、道教の用語を多く使っています。”(臨済宗福聚寺住職・玄侑宗久)といわれるのでさもありなん。玄侑師の師匠であった天龍寺の平田精耕老師は,「悟りというのは純粋環境の中である程度そういう心理状態はありうるけれど、現実世界の中でありうるものではない」と仰られていたそうである。
 孫休が自分で,自分が孫休か分からないが,少しでも至人にお近づきできるように,おったまげつつも匍匐前進(ほふくぜんしん)歩んでいくしかない。

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<福永光司(みつじ):荘子の人間理解(「荘子-古代中国の実存主義」)>   TOP
 たしかに人間の心ほど不可解なものはない。強いといえばこれほど強いものはなく,弱いといえばこれほど弱いものはない。温かいとえいえばこれほど温かいものはなく,冷たいといえばこれほど冷たいものはない。しかも強さと弱さが定めなく入れかわり,温かさと冷たさが気まぐれに変化する。それは神のごとき慈愛にほほえむかとみれば悪魔のごとき残忍さに狂いたち,天空の高みに飛翔するかとみれば地底の深みに沈淪する。風のごとく去来し,泡沫のごとく浮沈し,怒涛のごとく荒れ狂い,化石のごとく沈黙し,しかも,これらの千変万化する動態の根底には,氷山の下部のごとき不気味な無意識の深層が果てしないひろがりをもつ。妄想と幻覚と痴夢とがそのひろがりを塒(ねぐら)として羽ばたき,抑鬱し脅(おび)え魘(うな)される魂の悶えがその深層にかくれて怨恨と呪詛と復讐の刃(やいば)を研(と)ぐ。
           
 荘子は人間の心ほど気まぐれに変化する不安定なものはないと考える。人間は理性的動物といわれるけれども,それはあまりにも反理性的な現実生活の中で苦しみのたうちまわる人間の,在るべき姿への切ない憧憬ではないのか。
            
 なるほど,人間は第三者的な立場に立つ場合は理性的にふるまいうる。あるいは傍観的な一般者として発言するばあいはにはきわめて理性的である。しかし,自己がその渦中におかれ,己自身が決断を迫られるばあいには,人間は必ずしも理性的ではない。理性的でないばかりか,しばしば恐れとためらいとに心ひるみ,無謀と短気とに思慮を失う。羞恥と悔恨とがそのあとにつづき,自責と自己嫌悪とが理性へのあこがれを嘲笑する。

 人間の心の底には非合理な感情や盲目的な衝動が奥ふかくひそみ,それらが事あるごとに,もしくは,なぜとも知らず湧きあがってくる。

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感想:荘子は,いまから約2400年ほど前の権謀術数が渦巻き,魑魅魍魎が跋扈する古代中国の戦国時代に生まれたとのこと。残虐・残忍,路傍には無数の髑髏(どくろ)が転がっているような時代であったそうである。荘子については,いままで「胡蝶の夢」程度しか知らなかったが,本書で荘子の思想の一端に触れあらためて興味がわいた。湯川秀樹博士は福永光司氏に「荘子は面白いですね」と仰っていたとか。博士の「非局所場理論」の根底には荘子の思想が流れていたといわれています。それは兎も角,ハイテクの急速な進歩の上に胡坐をかいて利便を謳歌している現在の人間も,荘子が生きた遥か2400年以上の昔も,人間は本質的に何も進化していないことに改めて思い知らされる。著者の筆致のうまさに感銘を受けた。

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<福永光司:勝負に勝つ秘訣-「木鶏」の哲学(「老荘に学ぶ人間学」)>   TOP
 人生を生きるということは,どのような職業であっても,何らかの意味で勝負の場に立たされます。老荘の「道」の哲学というものの中で,いったい勝負に勝つためには,そして最後の生き残るためには,どのように考えたらいいのかという勝負の哲学についていろいろ記述しています。
「あるとき紀省子(きせいし)という闘鶏の名匠が,周の宣王のために闘鶏を飼育した。飼育を始めて十日もすると,宣王は紀省子にたずねた。
―鶏はもう使いものになったか。
省子は答えた。
―まだです。いまのところ,むやみに強がって威勢を張っています。
それから十日もすると,宣王はまたたずねた。すると省氏は答えた。
―まだ使いものになりません。他の鶏の鳴き声や姿ならまだしも,その声の響きや姿の影に対してさえ,さっと身構えます。
それから十日ほどして宣王はまたたずねた。すると省氏は答えた。
―まだ使いものになりません。他の鶏を近づけると,またぐっとにらみつけて気負いたちます。
それから十日ほどして王はまたたずねた。するとこんどは省氏は答えた。
―もう完璧です。他の鶏が鳴き声を立てても,もはや何の反応も示しません。遠くから見るとまるで木彫りの鶏のようです。無為自然の道を完全に身につけています。他の鶏で相手になろうとするものなどなく,みな背を向けて逃げ出しましょう。
 敵を近づけるとワーっと吠え立てる者はだいたいだめなんだ,木彫りの鶏のように全然表情を外に表さないものこそ本当に強いのだというのです。つまり,卑弱,柔弱の極致にいるものこそ最大の勝利を手にすることがというのが,『荘子』の説く「木鶏」の勝負の哲学です。(略)
 「荘子」の中の同類の話として
「いったい,それほど価値のない瓦を賭けてもの投げ遊びをする者は,勝負にこだわらないから上手にやってのけられるが,それよりも少し価値のある帯留めの金具を賭けてもの投げ遊びをする者は,心におののきを感じて平気ではいられなくなり,さらに高価な黄金を賭けてもの投げ遊びをする者は,賞金に目がくらんでしどろもどろになる。この場合,もの投げ遊びの技量そのものは同じであるが,惜しいと執着する気持ちがあるから,外物を貴んで己の心が乱れるのである。
 以上のように『荘子』では,真の勝負師は勝負にとらわれず,勝負の場に臨んで勝敗に心乱されないものこそが,無敵の強者であることを述べています。
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感想:
大森曹玄老師の「剣と禅」という本の中に,荘子の闘鶏の話を換骨奪胎した「九,猫の妙術―田舎荘子の語る剣の極意」の話が載っていて,このお話も大変興味深く印象に残っています。伊深正眼僧堂の山川宗玄老師は「瞋拳(しんけん),笑面を打(た)せず」―怒って拳(こぶし)を振り上げても、無邪気な笑顔の赤ん坊を叩くことはできない―という言葉は「一切を信頼しきって任せることしかできない赤ん坊は,一番無防備でありながら,実は一番,力強いということを表している。」と言っておられる。 とするとわれわれ赤ん坊時代はみんな木鶏であったのか。。。?

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<山川宗玄:おじいさん・おばあさんとは何か(「無門関提唱」)>   TOP
 人間には,おばあさん,おじいさんがいますね。いまここにも家では,おじいちゃん,おばぁちゃんと呼ばれている方もおられると思います。でも霊長類の研究者である松沢先生(※)は「ほかの動物には,おじいさん,おばぁさんはありません」と,こう断言されます。(略) 孫が生まれたから,おじいさん,おばぁさん,と我々は認識していますが,一般生物のレベルで考えたらどうかというと,それは違うそうです。おじいさん,おばぁさんというのは,要するに子供が生めなくなった個体をいうそうで,子供を生産するという行為をしなくなったら,おじいさん,おばぁさんと,生物の世界ではいうのだそうです。普通の生物の世界では死ぬまで子供を産んで育てるということで,それで産めなくなったら,死んでいく。ですから,おじいさん,おばぁさんという時間がないのだということで,余生がないということです。子育てが終わると,もう全くあとは時間がないと。唯一,人間だけがあるという結論でした。(略)
 人間の寿命は次第に長くなってきていますが,十五世紀頃から十七世紀頃までは二十歳くらいだそうで,十八世紀になって三十七歳くらい,十九世紀で四十三歳,二十世紀の後半になってやっと六十歳とか七十歳になって,現在は八十歳くらいになる。ですから,近年になって,人間がおじいさん,おばぁさんにようやくなれたことがわかります。それ以前は,なかったといっても過言ではありません。ですから,人生五十年とかいう時代には,おじいさん,おばぁさんとして孫を抱いているような時間はそんなにはなかった。唯一この近代になって,人類である我々は時間をたくさんいただくことになりました。つまり,子育てが終わってから,さらにそれまでと同じくらいの時間を生きることができる。世間的にはおじいちゃん,おばぁちゃんと言われますが,その時間を享受できる,活かせる時代になったのだということです。そこを我々は素直に受けとって,「驀直」(まくじき)に自分がこのように生まれてきた本当に意味というものを,見つけなければならないのではないかと思います。
 
人間,三十代,四十代までは,子供を育てることに精一杯です。これは,言葉は悪いのですが,ある意味で単なる生物レベルの問題なのです。「若い人はいいな」なんて言います。「未来がいっぱいあって素晴らしい」とか,「元気でいいな」とか言いますね。しかし本当は,六十代,七十代になって,もう生物としての役目が済んだ,言い方はあまりよくはありませんが,そうなったときに,初めて人間らしさが表れてくるのではないかと思います。

 「まぁ,六十歳くらいから,人間になっていくんだよ」と,そういった文学者の方がおられます。なるほどなと思います。人間の特質は二つしかないのです。一つは無防備な寝方をすること。これは,あえて意味づけをすると,われわれは守られているということでしょうか。もう一つは,おじいさん,おばぁさんの時間がいただけたということです。それが人間の特質ならば,六十代,七十代,それ以上の方は,それこそ,いまこそ人間としての意味をしっかりとつかむべきときが来たのだと,このように自覚すべきだと私は思います。(略)
 
 修業の世界というのは,まことに日々同じことを繰り返しております。学得底(がくとくてい)と言うよりも,体得底(たいとくてい)を重んじる世界です。頭で理解するだけでは,その人に血肉になりません。真に身になり,骨になり,肉になり,血になるには,体得底ということしかないのです。頭ではたくさんの知識がある。それが歩いている人の中に学得底としてあったとしても,それだけでは足りない。学びえた知識が知恵となって体得底として,その人に現れてこないと意味がない。私が一生修行だというのは,そういうことです。確かに誰しも,それなりの立場になれば人から敬われるようなこともあるかもしれませんが,本当は後ろ姿に手を合わせていただけるような,そういう人にならなければならないということです。一生修行というのは,まことにわれわれが自分自身に向かっていうべき言葉です。
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山川宗玄老師(1949- ):谷耕月老師の法嗣。正眼寺住職・正眼僧堂師家。室号:霧隠軒
※松沢哲郎:京都大学教授。日本モンキーセンター所長。宗玄老師の大学時代からの友人
  
感想:無門関第三十一則「趙州勘婆」の提唱からの引用です。「驀直」(まくじき)といのは「真っ直ぐに」という意味ですね。この真っ直ぐというのがなかなかの曲者で,小生はすぐに寄り道をしたくなります。。。
 「おじいさん,おばぁさんは人類にしか存在しない」というのはちょっとびっくりしました。しかし,鮭やアユ等は産卵すれば死んでいくように,生物界では子を産む行為をしなくなった時が生命の尽きるときというのは,考えようによっては意味が深いような気がします。人間は知性が備わったから余生が生まれてきたのか,余生ができたから知性が備わってきたのか,そのあたりのことはよく知りませんが,いずれにしても「六十歳から人間になっていく」とすれば,老後はゆっくり云々。。。などとのんびりしたことをいっている場合ではありませんね。

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<有馬頼底・対本宗訓:師と向き合う(禅の逆襲 生老病死のなかの仏教)>   TOP
対本 天龍僧堂での最初の一年,二年は,恥ずかしいような逃げの修行しかしていませんでした。転機はやはり娑婆心がとれたという,その一言に尽きます。幸いよき先輩,よき修行仲間に恵まれて,いつの間にか禅の魅力どっぷりはまって,抜けられなくなってしまいました。(略)
 そんなことで,最初はできるだけ早く逃げて帰ろうと思っていたのですが,精耕老師に巡り会って三年目ぐらいのときには,「ちょっとこれはやめられないな」と,ちょうど室内もだんだん面白いところに入ってきます。そうすると,とりあえず五年ぐらいをめどに,もうちょっと頑張ってみようかと。ところが五年頑張ると,もうひと辛抱であれこれやっているうちに十年になって,そうすると止めるに止められず,とうとうここまできてしまいました。(略) 
 精耕老師のもとで隠侍(いんじ)を勤めさせていただいたときのことです。老師は湯豆腐がお好きでした。一食分の小さな土鍋に,嵯峨の森嘉の豆腐を浮かべて,油揚 げ,関東ネギ,シイタケなどを一緒に煮て持っていくと,いつも「おいしい,おいしい」と食べてくださいます。厨房に控えていますと,しばらくすると,ご自分でお膳を下げてこられます。
 そして「おい,訓さん,ちょっと残しておいたからな」と。他の雲水は皆,夕方からの数時間は禅堂に詰めて坐禅をしますが,知客寮(しかりょう)と隠侍(いんじ)は堂内には詰めません。堂内で響く警策の音を聞きながら,役得ということで,老師の湯豆腐の残りに麦飯を少し入れて雑炊にして食します。そこへ知客寮がやって来て,「おまえさんたち,ほんとうに親子なんじゃないのか」と言って笑っていました。そういうときには,老師の揚眉瞬目(ようびしゅんもく),破顔渋面(はがんじゅうめん),あたかも老師の顔に公案の答えが書いてあるようなもので,室内もすいすいと 透過したものでした。(略)
 それが在錫十年が過ぎますと,師匠の気持ちも何となくわかってきます。「ああ,なるほどな」と,褒めて甘やかして育てられているようでも,どこかでグッと引き締められているところがありました。だから室内の最後の方は本当に苦労いたしました。特に十年過ぎてから室内の詮索が一通り終わるまでの時期,「点滴も施さず」という雰囲気で ,一則一則,容易に許してくれません。もうやめようかなと何度も思いました。とにかくまるで真綿で首を絞められるような・・・。
有馬 ああ,わかるな(笑い)。
対本 最後は正直なところ老師を恨めしく思ったこともありました。私はそのとき東京の全生庵の職員僧をしながら通参したり,師父が亡くなったりと,身辺ばたばたしてお りまして,住職する寺もなく宙ぶらりんのかたちでした。かといって,老師は特別に面倒を見てくれるというような,そんなそぶりも一切見せません。とにかく自分でやれと,否だったらやめてもいいよと,うってかわって,とにかく最後にうんと絞り上げられました。
 佛通寺派から私に拝請の話があったときに,精耕老師からは「おまえ,行け」と。一言も私の意見を聞きません。夏末の大摂心で室内の調べが終わりまして,「長い間,ごくろうさん。必要な力はもう身に備わった。これからは自分一人での修行だ」とのお言葉いただきました。佛通寺派の管長および師家として赴く日の朝,僧堂の本堂で開山諷経をして出立しましたが,その時,精耕老師の目に涙が光っていました。私は老師の慈愛を身に染みて感じまして,それまで反抗したり心配をかけっぱなしだったことなど,心のなかでお詫びせずにはいられませんでした。
 ここまでお育てくださった法乳(ほうにゅう)の恩を深く胸に刻み,老師に門送いただいて佛通寺に入寺した日のことを,ほんとうに昨日のことのように鮮明に覚えていま す。

 これは別の話ですが,佛通寺本山の坐禅会や大摂心では独参でいろいろな人が入室して来るわけです。いろいろなところの家風を持って,室内がいろいろと違いますから,天龍では調べないような公案も持ってきます。師家としてそれも受け入れなければいけません。私は一度,挨拶に天龍に帰ったとき,精耕老師に「私はこの公案を雲水時代にやっていませんが,天龍の室内にはないんでしょうか」と言って二,三の公案を示しました。
 そうすると精耕老師が目をむいて,「おまえ,やってなくても見解(けんげ)が立つだろう,やってない公案だから見解が立たないということは,お前に力がないということだ。だが,お前には見解がちゃんと立つはずだが」とおっしゃって,私をぐっとご覧になる。「ああ,なるほどそうか」と,考えてみれば見解が立つんですね。何か家風がちがうとか,その室内独自の見方があるのではないかとか,そういうことにとらわれていたのです。
 まさしく天龍の先先代管長の関牧翁老師が「無門関四十八則,碧厳百則を,最初から順番に全部室内で調べなければならないようではだめだ」とおっしゃっていたことを思いだしました。
 それに続いて,さらに精耕老師とのやり取りがありまして,いままでの公案体系すべてを木っ端微塵に打ち砕いでくださった。ここのところで私は大汗をかいて,それで非常にすかっとしました。それで佛通寺に戻ってみたら,はたせるかな何も困りません。
有馬 なるほど。
対本 やったことがあるとかないとか,法系の室内に伝わっているとかないとかは全く関係なく,たしかに見解はそれなりに立ちます,自由自在とまでいうといささか口幅ったいのですが,室内にしても提唱にしても,法話や講演にしても,仏法の取さばきでは七年間,何も困るものはありませんでした。精耕老師からは必要なものは余蘊(ようん)なくきちんとお伝えいただいたのだと,しみじみ感謝しています。
(略)
有馬 いや,ほんとうに,精耕老師に合われなかったら,あなたの今日はないですね。医者になるという,それもそこへ帰着するとことですね。
対本 そうですね。聞くところによると精耕老師はかねがね,「おれの法を継いだやつは何人かいるけども,宗訓だけはいうことを聞かん」と。「おれが[右向け右」と言うと,みんな一斉に右を向くけれど,宗訓だけは左を向く」と(笑い),いつもそうおっしゃっていたらしいです。(略)
 私が管長職を辞して大学の医学部に入ったときも「しょうがないやつだな」と言いながら,そのことの意義は深く肯ってくださいました。「ただ対外的な立場があるから,表立って支持してやることはできんけれども,まあ「徳は弧ならず」だから賛同者も集まるだろう。それまで一人で頑張れ」とおっしゃっていただきまして,それで私は十分満足しています。
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※「徳は弧ならず」:論語里仁第四の「徳は孤ならず,必ず鄰(となり)あり」からの言葉で,修養に心がければ,匿れてやっていても,必ず仲間ができてくるの意。

感想:長い引用となりました。
“「私はこの公案を雲水時代にやっていませんが,天龍の室内にはないんでしょうか」と言って二,三の公案を示しました。そうすると精耕老師が目をむいて,私をぐっとご覧になる。” のくだりは親の心子知らずといいますか,精耕老師の驚かれた様子が目に浮かぶようです。
「いままでの公案体系すべてを木っ端微塵に打ち砕いでくださった」というあたり,精耕老師の力量と愛弟子への深い慈愛を感じます。

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<平田精耕:関牧翁老師をしのぶ(「雪月花つれづれ」)> 2018.05.27   TOP
●先師牧翁老漢に参禅の師として随身してから既に四十数年を経過した。また,僧堂師家として後事を託されてからほぼ二十年になる。今,私は僧堂にあって次代の天龍寺の仏法を担ってくれる人材養成に専念せねばならぬまっ只中で,少なくとももう四五年は後見役として在世していただきたかったが,これも私の勝手な甘えかも知れぬ。
 先師は,一見柔和のように世間の目には映ったかも知れぬが,内面は大変厳しいお方であった。ことに昭和十年ごろ,精拙老漢の下には雲のごとくに多くの雲衲(うんのう)が集まったが,その中でもひときわ際立って厳しい克己の修行をされた牧翁老漢は,世間の噂ばかりを気にして修業事を怠った名僧善知識を「偽者」と罵っていたく嫌われた。 (略)
 先師は,恰好だけは殊勝気に坐禅の形はしているが居眠りばかりしている禅僧を非常に嫌われた。弟子どもに対してもその要求は厳しかった。参禅の折にうっかり下げた頭に枕の痕(あと)でもあろうものならこっぴどく竹箆(しっぺい)でたたかれてものである。
 「禅僧はアッケカランと昼寝などしてはならぬ。する事がなかったら庭の石でも拾って右から左へ,左から右へと移していろ」といわれた。「他人はごまかせても自分をごまかすことはできぬ」ともいわれた。時には破格逸脱の世界に飛び出されて弟子どもがついていけぬようなこともあったが,すぐに元のところへチャンと戻られた。
 野球好きの先師はそのことをよく野球になぞらえて「プロは基本が大切だ。基本さえしっかりしておれば一度失敗してもすぐに元に戻れる。プロの禅僧の基本は坐禅と参禅以外にはない」といわれた。けだし青春時代の激しい参禅体験から発せられた言葉であろう。
 それもこれもすべて私の心にキチッとやきついている。
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感想:
天竜寺の法灯は近世では関精拙-関牧翁-平田精耕(1924-2008)-佐々木容道(1953-,1995嗣法)と続いていて,平田老師の法嗣の一人として元臨済宗佛通寺派管長で僧医として活躍中の岫雲軒・対本宗訓老師(1954-)がおられる。関牧翁老師には直接お目にかかったことはないが,昔よくテレビで拝見していた。平田老師は妙心寺で開かれた墨跡展示会か何かで直接お話をお伺いしたことがある。たいへん捌けた方という印象であった。その時に筆禅道で著名な寺山旦中居士もお目にかかった。
さて,牧翁老師の
   “する事がなかったら庭の石でも拾って右から左へ,左から右へと移していろ”
という言葉は深く心に残った。「一日なさざれば,一日喰らわず」ともいうが,人生することがないということはないということでしょうか。
怠け心が起こるといつもこのフレーズが頭をよぎります。

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<荒金天倫:「現代を生きる」◇脚下を照顧せよ> 2017.11.27   TOP
●昔,中国・唐の時代に趙州和尚という高徳があった。十代にして有名な南泉和尚に師事し,大悟徹底してその法を嗣いだが,五十七歳まで,ずっと南泉和尚に仕え,和尚が遷化するや三年間,喪に服し,六十歳にして行脚(あんぎゃ)した。その時の言葉に「八十の老翁といえども,我に劣るものあらば,我,これを導かん。三歳の童子といえども我にまさるものあらば,我,これに師事せん」となる。人間は一生の間,修業である,いくつになっても,何になっても,やり抜くぞという願心が大切である。趙州和尚は南泉和尚ものとで立派に修行ができあがっていたが。それから八十歳までの二十年間,さらに悟後の修行を積み,聖胎長養(しょうたいちょうよう)された。趙州というところの観音院に住職されたのは,八十歳のときである。

 趙州和尚のところに,一人の修行僧がやってきて,「私はこの禅に志を立てて以来,まだほんの,はいりたての新米です,何もわかりません。どうしたら悟りがひらけるのか,どうぞご指導くださいませ。」と問うた。すると趙州和尚は,「お前,朝のお粥(かゆ)は食べたかい?」といった。修行僧が「はい,いただきました」と答えると,「ならば鉢盂(はつう:食器)をちゃんと洗っておきなさい」といわれたのである。ただそれだけである。しかし。その日常茶飯的な言葉のなかに,無限の真理を指示しておられるのである。
 新入社員に会社の重役が「君はどこの学校を出たか?」「はい。東大をでました」「そうか,ではひとつ便所のお掃除をしてもらおうか」--というようなものである。 東大を出たからといって,なにもそれほど偉いのではない。便所の掃除ひとつできないで,エリートも何もない。人間の仕事に貴賤はない。それを何でも修行と思って真剣にやるところに,人間の価値が生ずる。禅は何も,とっぴょうしもない精神遊戯ではない。寝たり起きたり,食べたり出したりの生活の中に,ぴちぴちと光を放っている。
   (略)
 かつて私は京都新聞編集局の社会部長だったころ,あるお役人と仲良しだった。公私ともにわたって親交を結んでいた。私が京都新聞をやめて浪人(執筆業)していたころ,その人は役人をやめて会社を興し,社長になっていた。たまたま所用で上京することになったとき,その社長と京都駅で出会った。「やあ,ご無沙汰」「おう,これから,どちらへ?」「東京」「私もそうだ,ちょうどいいね。車中でおしゃべりしながら行くか」「でも君,僕はグリーンだよ」 その一言で,すっかりこの男がイヤになった。こんな男だったのか,と幻滅した。その男とは,以来,付き合っていない。私が方廣寺の管長になったことをどこで聞いたのか,年賀状や暑中見舞いがくるが,クズカゴにポイ,である。
   (略)
 禅でいう脚下照顧とは,ただ,はきものをきちんとそろえ,というのではない。それも大切だが,自分が何になろうとも,どんなポストにつこうとも,絶えず初心を忘れず,自己反省し,下座行をつんでいく,ということである。
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感想:
荒金天倫老師(1920-1990)は天竜・関牧翁老師の法嗣。臨済宗方広寺派第九代管長を勤められた。禅僧から出兵,ジャーナリスト、そして再び禅僧になるという、ユニークな経歴を持っておられ,著書「現代を生きる」の中でその足跡を痛快に書かれていて面白い。
本書の中の趙州和尚と修行僧のやり取りは有名な「趙州洗鉢」のお話で,禅に関心のある方なら一度は目や耳にされたことがあると思う。
「禅のぎりぎりのところを教えてください」と真剣に問う修行僧に対して「お鉢をきれいに洗っておきなさい」・・・木で鼻を括るような無愛想,冷淡な返事のようだが,その中に禅がぴちぴちと光を放っている。。。といわれる。

面白かったのは“クズカゴにポイ”のくだり。最近は「忖度」が流行っているが,気持ちがはっきりしていて爽快な気分になります。

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<関牧翁:「よく生きることは,よく死ぬことなり」> 2017.11.05   TOP
● 管長は,若い頃,いかに生くべきかに悩み,武者小路実篤氏の思想に共鳴して大学を中退し,その後,禅僧となられたそうですが,八十一歳のいま,その解答は見つかりましたか。
 そうですね(笑い)。若いころはそういうことも考えましたが,「生きる」という,その事のみが真実であり現実であって,これでなくてはならんという道は発見できませんでしたね,百人百色の死生観と生活があってよいと思う。それと二十歳の青年には二十歳の大望がなくてなならないし,三十には三十の願心,六十には六十の立命,八十には八十の夢,百歳には百歳の迷いと悟りというものもあります。だから八十一歳になったからといってね,青年時代の自分の希望が達せられるもんではない,八十一には八十一の男の夢というものを新しく持つもんです,八十一には八十一の,老春か知りませんが,青春というものがあります。同じですよ,ずうっと,いかに生きるべきかということを追求してね。
   (略)
― 管長の関牧翁という名も先師がつけられたんですね。
 そうです。私は三十六,七のときにね,人の師匠になったんです。そのときに,二十人ばかりの修行僧がいたが,一人ひとりの修行の内容をよく点検してみると,ろくな者はいない。それで,したたか痛棒を食らわせたら,三人ばかりが夜逃げしてしまった。そのときに,先師は「弟子を育てるには師となるべき者のほうがはるかに忍耐を要する。あたかも牧場の翁が牛や羊を飼う親心がないと弟子は育たぬ。お前を牧翁と名付けた。わしの心をよくくみとって,たった一人でもよい,よい後継者をこしらえてもらいたい」と涙ながらにさとしてくれましたよ。「禅門では古より,たとえ一個半個でもよい,真の雑草(後継者)を打ち出さなかったらば,仏法中の罪人である」ってね。
― それは経営者の場合もいえますね。
 いい後継者がいなかったら,一代でつぶれちゃうからね。だから一代で偉くとも,弟子ができないようなのはだめだっていうんです。弟子をみれば,どんな和尚だったか,価値がわかるというんですよ。師匠はそういっていましたね。
  (略)
― 話は前後しますが,死を前に悠揚と逝く人とそうでない人との差はなんでしょう。
 一概にはいえないが,心がけと平生の練習でしょうね。平生というものを,本当に一日一日よく生きていったら,多分,そうなるんじゃないかと思うんですね,だから,よく生きるということは死ぬ練習のようなものです。
― よく生きることは死ぬ練習ですか。
 私がね,先師さまから学んだこともそれですよ。まず,人間というものは生まれたから死ぬ。それで,日常,与えられたささいなこと,そのささいなことをおろそかにしなかったならば,いざというとき覚悟の必要はない,ということです。平素,油断がなければ覚悟の必要はないということは先師は徹底された。ですから「一日よく生きる」という徹底ね。一日よく生きるということを徹底していけば安楽の死につながるんだ。そういうことをよくいいました。
― なるほど。
 私はその後に,一日一日が場合によると死の勉強であると考えるようになった。一日一日よく生きることは死を勉強することであり,よく死ねることである,と。よく生きるということは直ちによく死ねることであるということを繰り返して,それが七十くらいになって,ようやく身につきました。
― 七十になって,ですか。
 私は先代についたのは昭和五年から二十年の十月までです。初めの頃はね,三十六,七で管長代理にもなったが,なかなか教えと自分の考えと行動というのが一致しなかった。行解一致ということがなかなかできなかた。
― 行解一致?
 悟りと行いというのがなかなか一致しない。それを六十七のときに,ちょっと酒をやめたことがある。その辺からそろそろ人の師匠になってもよいという気になった。七十くらいになってようやくね,己の欲するところに従って,ややのりをを超えないようなふうになりました。 五十,六十ってのはまだ若いですからねぇ。六十なんて,私は還暦のお祝いもしてもらったが,一番迷うときだったね。
― 六十が一番迷うときでしたか。
 ええ,六十くらいのときは一番力ができますから。社会的にも物質的にもいろいろ恵まれてくる。それから世間の風評なぞというものを,そろそろ無視するような,悪く言えば厚顔ですね,あつかましくなる。
― 六十でそういう状態なら,三十,四十というのはやはり鼻たれ小僧ですか。
 そうですよ(笑い)。だから,まだあなたくらいの年齢はあまり菩提心したり,悟ってはいかんのです(笑い)。それに心の思ったことをやらないと悩むでしょう。例えば,松坂慶子みたいのが好きだといって悶々としてるより,行って,あんた好きだけどどうですかといって,嫌いですといったら,さよかって,やめたら,スッキリする,一つの段階がすむんですよ。
― ああ,一つの段階がね。
 そう。
― 結局,人間は中途半端じゃいかん,迷うときには徹底して迷った方がいいんですか。
 迷った方がよろしいってのは第三者,本人はその気なくて,迷っているときは分からないです。ただ,徹底しなきゃだめですね。女に惚れたら心中するくらいの勢いでなかったら。禅宗でもよく,いい意味で,毒を食ったら皿までというが,中途半端だったら,いつまでたっても抜けることはできませんよ。(略)禅宗では「地切り場切り」ともいう。これはそのときになりきっちまうんですよ。飯を食うとき,くそをすることを思っていたら,あまりいいご飯をいただけないでしょう。そういうふうになりきっちまえっていうんですよ。その事に。そういう具合にして,自分を生涯鍛えていく,一日を徹底働いていく,ということです。(略)だから,自分に与えられた小さいことをおろそかにしなかったらばね,改めて覚悟する必要もないし,そういう生活を徹底されることがよく生きることであり,よく死ぬることであると思いますね。
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※師匠:関精拙
(1877 - 1945)。臨済宗天龍寺派第7代管長。天龍僧堂師家として多くの弟子を育てる。主な弟子に関牧翁、山田無文、稲葉心田,大森曹玄、清水公照。

感想:もうあと二月も過ぎれば除夜の鐘,新年を迎えることなります。除夜の鐘は108回撞かれる。これは人がもつ百八の煩悩を救うためといわれていますが,いかんせん人間のもつ煩悩の数は八万四千の法門といわれるように108つよりはるかに多く無尽蔵,次から次へと湧きだしてくるといった感じ。天龍寺の先々代管長・師家を勤められた関牧翁老師のお話を読むと,老師と呼ばれる先覚者でさえも日々煩悩と格闘されているということが滲みでているように思います。徹底していくということはむつかしく一朝一夕にはできません。継続は力なりというように,日常のほんの些細なことを些細なことゆえに簡単に切り捨てず正面から向き合うという習慣を身につけていくようにしていくことが徹底というものににつながっていく。。。オッと,それはまだ「徹底」というモノを意識している,その意識も消し去ってしまえということだろうか。

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<釈撤宗:生命のストーリー> 2017.06.09   TOP
● さて,どれほど生命に関する科学的な解明が進もうとも,「私の生と死」について苦悩が尽きることはない。われわれは生命のストーリーをよりどころとして,この苦悩を引き受けていかねばならない。生命のストーリーは,宗教や文化によって異なる。輪廻(りんね)という生命観をもつ人々もいれば,最後の審判を信じている人々もいる,今回はフリードリヒ・ニーチェが語った永劫回帰(えいごうかいき)という少し謎めいた思想を取り上げよう。
 
 1844年,ニーチェは現在のドイツに牧師の子として生まれた。24歳でバーゼル大学の教授になっている。しかし体調を崩して10年で大学を辞職。45歳で精神に変調をきたし,55歳で早逝(そうせい)している。このニーチェが,「およそ到達し得るかぎりの最高の肯定の定式」とするのが,永劫回帰の思想である。永久に続く時間の中で,すべてがもう一度同じ展開をする,これまで生きてきた人生が何度も何度も繰り返し戻って来る,そんな話なのである。
 
 永劫回帰とは,これ以上のものはあり得ないという究極の自己肯定だと思う。いわば,「君はもう一度自分の人生を生きられるか」という問いなのである。もしあなたが,もう一度生まれ変わったとして,同じ境遇に生まれ,同じ学校に通い,同じ人と友人になり,同じ職業に就いて,人生の分岐点で同じ選択ができるだろうか?
 
 ほとんどの人は,「どうせなら違う人生を歩みたい」と考えるのではないだろうか。私もそう思う。しかし,違う人生を望むということは,いまの人生以外にもっとより良い人生があるはず,ととこかで感じているからにほかならない。つまり真に自己肯定できていないわけだ。

 よく「ありのままの自分を受け入れる」などと言うが,ニーチェから見ればずいぶん甘っちょろい。本当に自分を肯定するのはかなり困難であり,稀有(けう)なことである。「どこにも逃げ道はない」と自分の人生を本気で引き受けなければ成り立たないのだ。そして,何度でも同じ人生を引き受ける覚悟をもった時,「この一瞬をより良く生きるしかない」という扉が開くのである。
                                         (相愛大教授,僧侶)
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感想:ちょっと前,ディズニーのアニメ映画『アナと雪の女王』の主題歌「ありの~ままの~♪」という曲が世界的に大ヒットした。映画は見ていないが,ありのままでいいと肯定されると肩の力がスッと抜けて楽になる。『これでいいの 自分を好きになって これでいいの 自分を信じて 光を浴びながら 歩きだそう 少しも寒くないわ』人生の応援歌ですね。ところで原曲は「Let it go」で,直訳すれば「ケセラセラ・なるように~なるわ~」といったような意味。国民性によって歌の感じ方はやはりちがうだろう。。。まっ,そのことは兎も角として,「生命のストーリー」で語られている「何度でも同じ人生を引き受ける覚悟をもった時」というフレーズには思わず身が引き締まります。長淵剛の「人生はラ・ラ・ラ」という歌の “だけど人生は一度っきりだから 生まれ変わるなら生きてるうちに~♪」という歌詞と一脈通じるものがあるような。。。いずれにしてもできるだけその覚悟らしいものが芽生えてくるように,何気ない日常でのさりげない練磨が大事だということですね。

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<谷沢永一:五輪書の読み方> 2016.11.07    TOP
●邪道に走らない”自然(じねん)の道”とは
 さらに武蔵は、「一、此兵法の書五巻に仕立る事」の中で「小心(すこし)のゆがみに付て、後には大きにゆがむも のな也」と戒めている。なにごとも、最初が肝心で、ちょとした心のゆがみが、後に大きなゆがみになる、という意 味だが、私は、これを人間関係をはじめとするあらゆる局面で、邪道に走ることを戒めている、と解釈したい。
 「小心のゆがみに」つくことは、“やすきにつく”場合もある。また、将来、芽が出ないような方向で、能力を傾ける場合もある。いずれも、邪道に走っていることになる。
 邪道に走ることは、マイナスの意味を持つ。それに対するプラスの意味として。私は“自然(じねん)の道”を考える。私のこれまでの生き方は、この自然の道を実地で身につけようとした道程とも言える。
 万葉学の沢潟久孝は、私どもの卒業にさいして、こう言われた。万葉の歌にも、これまで未解決の意味不明な部分があるが、万葉を志すなら、そういう問題にすぐ食らいついてはいけない。十年かかってもわからないものを、早く手柄を立てようと思って、つい道を外れる。それより、万葉なら、すでに解釈されている歌、例えば「ひんがしの野にかげろうの立つ見えて・・・・・」というような歌を、果たしてそう読んでいいのかどうか、論理過程を追いながら、一から順番に納得がいくまで追ってみよ。いちばんわかりやすいものを、全部マスターしろ--沢潟先生はそのことを「足もとの草むしりから始めよ」とも言われた。
 私は自分なりに先生の言葉を守ってきたつもりだが、これが自然の道ではないかと思う。芸道でも、名前を上げるに急で、変わったことに手をつけたがる人が少なくない。つまり、邪道に走っているのである。やはり、ノーマルな修行こそ自然の道であろう。
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感想:「足もとの草むしりから始めよ」、なかなかいい言葉ですね、頭にとどめておきます。禅の方では「脚下照顧」と簡潔な言葉がありますが、昔、禅道場に行った時、道場の入口に「脚下照顧」と筆書きされた板がおかれていました。案内の雲水が ”履物の下駄はきちんと揃えましょう~” と大声を発し、自らもそれを実行していました。そうか、まず足元だなと神妙に思ったことを懐かしく思い出します。

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<山本七平:空気の研究> 2016.10.20   TOP
●聖書学者の塚本虎二先生は、「日本人の親切」という、非常に面白い随想を書いておられる。氏が若いころ下宿しておられた家の老人は、大変に親切な人で、寒中に、あまりに寒かろうと思って、ヒヨコにお湯を飲ませた、そしてヒヨコを全部殺してしまった。そして塚本先生は「君、笑ってはいけない、日本人の親切とはこういうものだ」と記されている。私はこれを読んで、だいぶ前の新聞記事を思い出した。それは、若い母親が、保育器の中の自分の赤ん坊に、寒かろうと思って懐炉を入れて、これを殺してしまい、過失致死罪で法廷に立ったという記事である。これはヒヨコにお湯をのますのとまったく同じ行き方であり、両方とも、全くの善意に基づく親切なのである。
 よく「善意が通らない」「善意が通らない社会は悪い」といった発言が新聞の投書などにあるが、こういう善意が通ったら、それこそ命がいくらあっても足りない。従って、「こんな善意は通らない方がよい」といえば、恐らくその反論は「善意で懐炉を入れても赤ん坊が死なない保育器を作らない社会が悪い」ということになるであろう。だが、この場合、善意・悪意は実は関係のないこと。悪意でも同じ関係は成立つのだから。また、ヒヨコにお湯を飲ませたり、保育器に懐炉を入れたりするのは“科学的啓蒙”が足りないという主張も愚論、問題の焦点は、なぜ感情移入を絶対化するのにある。というのは、ヒヨコにお湯をのまし、保育器に懐炉を入れるのは完全な感情移入であり、対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態だからである。そしてそういう状態になることを絶対化し、そういう状態になれなければ、そうさせないように阻む障害、またが阻んでいると空想した対象を、悪として排除しようとする心理的状態が、感情移入の絶対化であり、これが対象の臨在的把握いわば「物神化とその支配」の基礎になっているわけである。

 この現象は、簡単に言えば「乗り移る」または「乗り移らす」という現象である。ヒヨコに自分が乗り移るか、あるいは第三者を乗り移らすのである。すなわち、「自分は寒中に冷水を飲むのはいやだし、寒中に人に冷水をのますような冷たい仕打ちは絶対にしない親切な人間である」がゆえに、自分もしくはその第三者を、ヒヨコに乗り移らせ、その乗り移った自分もしくは第三者にお湯を飲ませているわけである、そしてこの現象は社会の至る所にある。教育ママは「学歴無きがゆえに・・・」と見た夫を子供に乗り移らせ、子供というヒヨコの口に「教育的配合肥料」をむりやりつめこみ、学校という保育器に懐炉を入れに行く。そして、それで何か事故が起これば「善意から懐炉を入れたのだ、それが事故をおこすような、そんな善意の通らない『保育器=社会や学校制度』が悪い」ということになる。そしてそういうわれわれは、誰も一言もない。
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感想:『絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起こってしまうのである。』と書かれている。なんでも絶対化するとそれ以上考える必要がなくなり、全面依存の思考停止で楽だ、という人間のもろい一面が「空気」の蔓延(はびこ)る素因だろうか。

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<河合隼雄:人の心はどこまでわかるか> 2016.05.23   TOP
●たとえば外科医だったら、対象がはっきりとわかりますから、ここをこうしたら必ずこうなるということは、かなり明確に言えますが、心理療法家は人間のもっとも不可解なところを対象としていますし、一人ずつみんな違いますから、百人のクライエントが来れば、百のケースと出会うことになります。したがって、「これでわかった」ということはなかなか言えません。
 もちろん、経験年数を重ね、多くのクライエントとつきあってくれば、ある程度の予想を立てることはできますが、だからといって、慢心を起こしたら、いっぺんにだめになります。また、一生懸命やっている人は、いつも「自分はだめじゃないか」という思いに駆られますから、慢心しているひまがありません。慢心するのは、一生懸命やっていない人か、心理療法家をやめてしまった人です。(略)「自分はだめじゃないか」という思いがしなくなったら、それはほんとうにだめになった証拠です。

 いかに豊富な人生経験を持っている人でも、それによって悩んでいる人を助けてあげられるのは、きわめて限定された、あるいは表面的な範囲にすぎません。(略)自分の人生経験を生かしたいと意気込むことは、心理療法家に必要な根本姿勢とはまったく逆の姿になります。
 また、自分の傷つきやすさを、鋭敏さと誤解して、自分は弱い人の気持ちがよくわかるので、そのような人の役に立ちたいと思うような人も問題です。たしかに、傷のある人は他人の傷の痛みがよくわかりますが、そのようなわかり方は治癒にはつながりません。傷をもっていたが癒された人、傷をもっていないが傷ついた人の共感に努力する人、などのよってこそ、心理療法は成り立つのです。

 多くの専門職の中でも、心理療法家ほど謙虚さを必要とし、「初心忘るべからず」の言葉が生きている世界はないと思っています。
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感想: 十人十色というように人の心は多様というレベルを通り越し、しかも環境やもろもろの条件でこれがいくらでも千変万化する。。。となると、もうつかめるものではない。しかし、「うん、そうだね。。。」と心底共感することはできる。共感されることによってざわつく心は落ち着き、本来のエネルギーが目を覚ます。表面的な共感は相手に見抜かれる。黙ってそばにいることは共感しようとする努力の現れ。。。等々、いろいろ考えさせられます。

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<茨木のり子:「ある一行」> 2016.03.24   TOP
●一九五〇年代
しきりに耳にし 目にし 身に沁みた ある一行

  <絶望の虚妄なること まさに希望にあい同じい>

魯迅が引用して有名になった
ハンガリーの詩人の一行

絶望といい希望といってもたかが知れている
うつろなることでは二つともに同じ
そんなものに足をとられず
淡々と生きていけ!

というふうに受けとって暗記したのだった
同じ訳者によって

  <絶望は虚妄だ 希望がそうであるように!>

というわかりやすいのもある
今この深い言葉が一番必要なときに
誰も口の端(は)にのせないし
思い出しもしない

私はときどき呟いてみる
昔暗記した古風な訳のほうで

  <絶望の虚妄なること まさに希望にあい同じい>

*ハンガリーの詩人ーベテーフィ・シャンドル(1823-49)
*竹内好訳
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感想: 内山興正老師なら『絶望とか希望というものは頭の分泌物です。いろんな人間的思いを「頭の分泌物」として眺める余裕があれば、また違う風景が見えてきますよ』といわれそうである(←あくまで想像ですが)。最近のいろいろなニュースを見ていると、どうも頭の分泌物に縛られ突き動かされているような出来事が多いような気がする。淡々と生きていく意志というか、何気ない気付きもしない大切なものを日常の喧噪の中で知らぬ間に落としてしまっているのだろうか。

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<木村達雄:勉強と研究の違い(研究の波動)> 2016.02.11   TOP
●大学3年の時に,佐藤幹夫先生(佐藤超関数や概均質ベクトル空間の理論の創始者)の集中講義に出た事がありました。自分の考えた理論を生き生きと説明していく講義にすっかり魅了されてしまいました。内容は難しくて良く分からないのに,何かワクワクするものを感じるのです。このとき,数学は分からなくても感動することがあるのだ,と知りました。のちに大学院の修士1年になったとき私は武術に夢中になり,真剣を使って戦いの集中力や持続力の稽古に没頭してしまいましたが,修士論文を1年後に提出しなければならなくなった頃,京都大学に佐藤幹夫先生を訪ねました。ニコニコしながらコーヒーを入れて下さった先生は「どんな研究をしていますか?」と尋ねたので「実は武術しかしていませんが数学これから頑張ります」と答えた。先生の顔色が変わり,ものすごく怒られて「君の状態では新しい結果を出すのに一年半はかかる」と言われ,とにかく30分だけ,一対一で研究指導をして下さいました。その時,私は初めて勉強とは全く異なる研究の雰囲気,波動のようなものを感じ,研究はこうするのか,と思いました。

佐籐先生は「すぐ追い返したい所だが研究室を一つ使って良いから一週間したら帰りなさい」と言われ,更にオロオロする私に研究の心構えを教えて下さいました。

「朝起きた時に,きょうも一日数学をやるぞと思ってるようでは,とてもものにならない。数学を考えながら,いつのまにか眠り,朝,目が覚めたときは既に数学の世界に入っていなければならない。どの位,数学に浸っているかが,勝負の分かれ目だ。数学は自分の命を削ってやるようなものなのだ」

と言われ,追いつめられた私は,まさにこれを実行しました。すると一週間で未解決問題の一つが解けてしまいました。佐藤先生に見せに行くと「君に出来る訳がない。どうしても正しいと言うなら,これが成り立つ筈だから確かめてみなさい」と言われ三日かけて再び持っていくと,それからは佐藤先生は毎日6時間以上に及ぶ個人指導を始めて下ざり,私をグイグイ引き上げて下さいました。

※木村 達雄(1947年 - ):日本の数学者、武道家。筑波大学名誉教授。理学博士。大東流合気武術十元師範。
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感想:勉強は既にレールが敷かれた上をしっかりと進んでいくようなものだが、研究となると話は別で、先に導いてくれるレールがない。持っている知識を総動員して匍匐前進(ほふくぜんしん)、泥をかぶりながらも前と思われる方向に進んでいくしかない。頭がええとか悪いとか、才能があるとかないとか、そういうことをいうのはやる気がないことの裏返し。研究とはそんな甘いもんとちがいまっせ!といわれているようである。

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<ヴアレリー文学論・神話> 2015.12.27   TOP
●詩人ならだれしも一度くらいは、偶然に、すばらしい構想やうまい言いまわしが自分にも生まれたわいと気づくことがあったとしてもあたりまえだ。(略) 作者は試作をくり返すことによってできのいい系列の作品を創ろうと試みる。技術と努力が、実在の人間のだれにも思いつくことも、用いることもできないような言葉を創造しようとはげむ。そして自然が直接にはだれにも与え得ないような泉が自然に湧き出るような外見を、世にも豊富な、理づめな、渾然たる、複雑極まる文章に与えるのだ。こうして仕上がった文章が、普通感興的な名文と呼ばれるのだ。三年がかりで模索し洗練し修正し拒絶し選択し続けてできあがった文章が、あかの他人に、三十分にも足らない時間で、味わわれたり、読まれたりする。読者はこの文章の成立の事情として、これを自然発生的にしかも一気に書ける作者を想像する、つまりきわめて似つかわしくない作者をだ。作者の内部に住むこの作者を、在来、人は詩神と呼んできている。
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感想:書かれていることが難しくてよくわからないが、『三年がかりで模索し洗練し修正し拒絶し選択し続けてできあがった文章が、あかの他人に、三十分にも足らない時間で、味わわれたり、読まれたりする。』というところに興味が惹かれた。時々、長編小説など、興に乗って一気に読み終えるときがある。そんなとき、作者が、恐らく何か月も調査・苦吟して書いた作品をわずか1日足らずで読んでしまって申し訳ないような気がしないこともない。が、印象に残ったところは頭のどこかに残っていて、ときどき思い出して味わいなおすこともあるので、まぁとくに気にする必要もないんだろう。

あと一日で2015年も終わる。今年は国際社会のいろいろな歪が一気に噴き出した年だった。来年は穏やかな年になればいいのだが。

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<吉田兼好:「徒然草・百三十四段」(現代訳:山崎正和)>  2015.11.21   TOP
●高倉院の御陵に付属する法華堂で、法華三昧を勤める僧で、何某の律師とかいうものがあった。この男はあるとき、鏡を手に取って顔をつくづくと見て、自分の容貌が醜く情けないことにあまりの憂鬱を覚え、鏡すらうとましい心地になったために、その後は永く鏡を恐れて手にも取らず、きっぱりと人に交わることもやめてしまった。法華堂の勤行に出るだけで、あとはひとりでこもり暮らしていたと聞いたが、これは珍しく感心なことに思われたものであった。
 賢そうな人であっても、他人のことばかりあげつらい、ほかならぬ自分のことは知らないものである。自分を知らないで他を知るという理屈はあるはずがないのだがら、自分を知っている人をこそ、もののわかった人といわなければならない。人はとかく、容貌が醜いのもかかわらずにそれを知らず、また、心が愚かであることも知らず、技藝がつたないのも知らず、わが身がものの数ではないのも知らず、さらに修業中の道が未熟であるのも知らず、自分の犯した過ちをも知らないのであるから、まして、他人から受けている非難を知るはずがない。
           (中略)
手の届かぬことを望み、それがかなえられないことを嘆き、来もしないことを待ち、人を恐れ、人に媚びるのは、他人から与えられる恥ではない。それこそ貪欲な心に引かれて、自分で自分を恥ずかしめているのである。
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感想:吉田兼好は鎌倉時代の末期から南北朝時代にかけて活躍した人だから、今から約700年前の人ということになる。「貪欲な心」への鋭い批判はわが身に沁みてくる。。。自覚的にコントロールしなければ。

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<イワン・ツルゲーネフ:「休息の祝福」>  2015.10.08
●「疲れた人は、しばし路傍の草に腰をおろして、道行く人を眺めるがよい。人は決してそう遠くへは行くまい」
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感想:
     「疲れたら休め,彼らもそう遠くへは行くまい」

という言葉の原典が上に挙げたロシアの文豪ツルゲーネフの言葉らしい。人生の機微に触れた味わい深い言葉である。

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<内山興正:「大空が語りかける」“大空”> 2015.09.05   TOP
●大 空
   大空を毎日仰いで歩いていると
   それはまったく身近な親しい
   相談相手となってくる
   求めて得られぬ悲しさを告白すると
   「まあいいさ 大したことはない」
   鬱憤をためて爆発させようかというと
   「それもよかろう でもくだらないぞ」という
   自分に愛想がつき 絶望していらいらしていると
   「まあそんな日もあるさ」
   そして大空自身 毎日
   青空になったり 雨天になったり
   白雲を飛ばせたり スモッグになったり
   鳥を飛ばせたり ジェット機を飛ばせたり
   今日もひろい大空のまま
   ただ大空をしている
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◎感想:ただ大空をしている。。。この一語に尽きる。

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<上田正昭:京都新聞・天眼「まことの鎮魂」> 2015.08.09   TOP
●毎年8月6日の広島原爆・同月9日の長崎原爆の日には,「まことの鎮魂とは何か」とあらためて問う。多くの人びとは,「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と誓いの言葉を述べる。世間では鎮魂とは死者の霊魂のミタマシヅメをいう場合が多い。(略)『梁塵秘抄口伝集』がミタマフリについて「是はたましひを振りをこす。ゆらゆらとをこすなり」と記しているように,萎えてゆくたましいを振り起すことであった。
 こうしたミタマフリの鎮魂のありようが,本来のまことの鎮魂であったのではないか。その伝統は奈良県天理市の石上神宮の鎮魂際に脈々とうけつがれている。たとえばその鎮魂の呪詞(じゅし)は「フルエ ユラユラト フルへ」と唱えられるのである。(略)
 多くの現代人は鎮魂とはミタマシヅメだと思っている。したがって「安らかに眠ってください」と原爆の死霊を眠らせて生者と断絶し,「過ちを繰り返しませぬから」と誓うのである。東日本大震災の福島原発の大事故などを起こして,「過ちは繰り返しませぬから」と祈っても,それは虚言以外のなにものでもない。
 まことの鎮魂とは何か。戦後70年の原爆の日には,「安らかに眠らないで下さい。再び過ちを繰り返すかもしれませぬから」と広島や長崎に投下された原爆によって最後をとげた人びとに反省を込めて反戦を決意することが,原爆の悲劇を繰り返さぬ,まことのミタマフリになるのではないか。
 タマフリとは何か。死者と断絶するのではなく,たましいを振り動かす魂振りが鎮魂の根本であった。

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◎感想:
今朝(8月9日),何気なく京都新聞の朝刊を眺めていたら,このコラムが目に入った。「鎮魂というのは死者の魂を振り動かすこと」という一文に感銘を受けた。
昔,漫才師の横山やすしの葬儀のとき,相方の西川きよしが「やっさん,いろいろ辛かったやろ,どうかゆっくりと休んでくれ」という弔辞を読み上げていたのをTVでみて,“ゆっくり休もうが,こっちで暴れようがワシの勝手やないか!”と声なき声でやすしが吠えているのではと思ったりした。センチメンタルに死者を捉えるのは生きているものの驕(おごり)りだろうか。

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<内山興正:興正発句詩鈔「大空が語りかける」> 2015.05.12   TOP
   いやじつは天地一杯が
    天地一杯のなかに生まれて来
   天地一杯が
    天地一杯のなかに死んでゆくのだ
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◎感想:落ち込んだとき内山老師の
詩集を読むとなにかほっと慰められ、勇気をもらう。「読む人の勝手解釈でOK、それぞれの読み方があるはずですね。こうでなければならないという ケチな制約などは一切ありませんよ」と言われているようで、読みかえすたびに味がでる。


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<秋月龍珉・柳瀬有禅:坐禅に生きた古仏耕山 - 加藤耕山老師随聞記>
2015.03.26   TOP
●香夢室は徹底して綿密なお方で、当時「水も洩らさん」と言われるほどじゃ。これはもう、あの人のまねはできんわ。「一滴の水でも三べんくらい使わにゃ捨ててならん」と、こう言われて実行しておられた。誰でも顔を洗ったらボーッと捨ててしまうでしょう。何でもね。それが「これはこうしてこうして」と実行しとる人です。こんな人はちょっとないがね。そういう綿密な香夢室のやり方を見ておると、神々しくなる。しかし、そばにおると、うるそうてな。ギャンギャンは言わっしゃらんけれども、見ておるような気がしてな。わたしも側におって、ときどき失敗をやりおったがな。そいつをとがめたりはひとつもしません。けれども、やりくちだけは正直に教えられた。初めて側づきになった時は、「わしの流儀はこういうふうだがね」と言うて、オツケの実一つ切るのも切り方をちゃんと言わっしゃる。言ったってやりゃせんがな。いいかげんに切って出すと、食うてから、ちゃんと言わっしゃる。「オツケの実はオツケの実の切り方というものがあるでな」。そらまぁ考えてみると、禅といったって何もほかのことはありゃせん。物を扱うにもその物に相応した、もののナニがちゃんと法にはまっていくようにするだけのものだからな。そこに徹するだけのものだからな。心がいろいろと自分の便利を出したり、脱線さえしなければいいのだから。飯を食う時は飯を食うところに、自分の心が脱線せずにちゃんと行きゃいいですからね。間違いないですから。死ぬ時はあなた、死ぬほかしかたがないから死んじゃうで、むずかしいことはない。こんなやさしいことはないでな。死ぬ時は死ぬだけじゃ。それが極楽じゃ。死ぬ時は死ぬだけで、文句いうことも地獄へ行くことも極楽へ行くことも、そんなことはどうでもいいじゃ。会社の解散するように死にさえすりゃいい。何もありゃせんからね、そういうふうにそこだけになるということがむずかしいがね。どうも心ってやつは飛び回りやがってな。

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◎感想:大森曹玄老師は「書と禅」の中で耕山老師の墨跡を、「その墨跡は規模こそ大きくはないが、そして迫力も勝れたとはいえないが、墨気は透徹して冴えている。枯淡というよりは、むしろ老熟しきった感じである。祖師の像もよく描くが、その眼の澄んでいること、恐らく当代随一であろう。それも迫力というよりは、無邪気で子供の眼のような澄みかたである。この人は力よりは徳に勝る性質(たち)であろうか。その笑顔が、これまた天下一品である。禅とはこれだ、といってよいような、あどけないすべてを超越した笑顔である。このごろのような世の中になっては、再びこのような笑顔の人に接することは恐らくあるまいとおもう。その顔は、彼の描く達磨にそのまま写し出されている。書も画も、所詮は人である。」と評されている。
科学技術の進歩に反比例して人間が小さくなっていくのは。。。便利という洪水に流されないように心がけなければと自戒。

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<谷沢永一・渡部昇一:「宗教とオカルト」の時代を生きる知恵> 2015.03.15
   TOP
渡部:木の根がなければ葉はすぐ枯れますが、木の葉がなくても根は何年も生きられます。根というのは、徹底的に光から逃げている部分です。同様に、人間の精神というのは、光のほうに向いた部分だけでなく、根っこに闇の部分があるのではないかと私は考えます。れわれが共通して話せるのは光の部分であり、闇の部分はわからない。だからといって、闇の部分がないとしたら唯物論です。
 たとえば、夢を科学的に分析・検証できるようになるかといったら、無理だと思います。頭の中がわかるということはない。科学は必ず媒体として機械を使うはずですが、機会を通して得たデータでわかったと思えるの人は唯物論者でしょう。
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◎感想:
植物の根っこは"徹底的に光から逃げている部分です。”という指摘は新鮮で、目から鱗の思い。「闇」はユングの言う「影」のことか。

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<山内恭彦:一般力学・第1版の序文> 2015.1.2   TOP
●物理学の研究をなすに当たっては、研究者がその有する基本的知識を一つの体系に整備し、新しい理論に接するごとにその中から必要な部分を摂取し、同時に既に有するものから不要な部分を棄捨し、明確なる思考の根底を樹立して常時の用に応ずるように準備しておくことが一つの有用な心懸けであろうと思われる。
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◎感想:学生の頃、古本屋でこの本を見つけ、序文の「常時の用に応ずるように準備しておく」というフレーズに感銘を受けた。そういえば「治に居て乱を忘れず」という諺を座右の銘にしていたっけ。。。年を重ね、裏も表もいろいろ見聞・経験してくると若いころの純な気持ちも次第に霞んでくる。が、“軸”だけはぶれない様にしていきたい。


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<MARGENAU & MURPHY:物理と化学のための数学Ⅰ 著者のことば> 2014.12.31   TOP
●われわれが望んだ厳密さは注意深い科学的証明で普通に行われている程度であり、純粋数学者だけが近づき得るような高踏的なものではない。これについては何ら弁解するつもりはないが、精密科学の歴史は私達に次のことを教えてくれているように思われる。即ち厳密さをむやみに強調してもその成果は少なく、優秀な開拓者たちは存在定理の結果よりもむしろ輝かしい予感をたよりにして成功したということである。
         (略)
末筆ながら著者は独学で数学に上達しようとしている物理および化学の勇敢な学生のことを少なからず念頭においている。

                               Henry Margenau
                               George M.Murphy
New Haven Conn. 
  March, 1943
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◎感想:
今日で2014年も終わる。
はるか昔の学生時代、これから専門課程に進むにあたってどんな数学を勉強していったらよいのか、いろいろ悩みつつ先生に相談しに行った。
 「そやなぁ~、複素関数論も知っているようで知らん人が多いで。とにかく必要な奴から取り組んでいったらどうやろ。マージナウ・マーフィーなんかええと思うで。あれ読んどいたらどやろ」
 「はい」
といったやり取りを思い出す。マージナウ・マーフィーという語感が気に入った。本屋で件(くだん)の本を見つけて立ち読みし、その内容が結構多岐にわたっていて難しそうに思えたので、買うか買わずか逡巡した挙句、結局買うのを諦めたが、巻頭の著者のことばの、「末筆ながら云々・・・」のフレーズに感動・感激し、棒立ちのままそこだけを何度も読み返し、反芻していた。思えば純で一途な若者であった、と懐かしく思いだされる。

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<ファインマンの手紙:A.V.セシャギリへ(1972年10月4日)> 2014.12.30   TOP
インドに住む19歳のセシャギリは深刻な吃音障害で悩みを抱え、また教師との関係も教師が「生徒のやる気を奪い、熱意を失わせて・・・生徒に知識を分け与えようとしていないと」感じていた。カルテックなら「何の心配もなく落ち着いて穏やかに」勉強ができるかもしれないと考えた。

 以下はファインマンからの返信。

インド ボンベイ
A・V・セシャギリ 様
 セシャギリ君へ
 手紙をありがとう。
 君が物理学に興味を持ったのは幸いです。なぜなら、物理学のような学問では、話すのが困難でも深刻な障害にはなりませんから。それどころか、物理学は一人で勉強しなければなりません。自分で自分を教えなければならないのです。指導者のことでそんなに悩むのはやめなさい。本はたくさんあり、難易度、書き方、扱っている分野もそれぞれ違います。あなたに適した本を探し出しなさい。楽しく読めて、一番早く簡単に学べる本を、僕の本を面白いと思われるかもしれないのでーー現在のところは、まだ君には難しすぎるかもしれませんがーーその本と、並行して使える薄い問題集を送ります。今は一問も解けなくても驚かず、気楽に、まずはわかることだけを読みなさい。そうすれば、知識が自然に身についてきます。
          (略)
 それまでは、自分が最も興味をもてること、しっかり理解できることを、落ち着いて静かに勉強しなさい。特定の本を勧めることはしません。どの本が君に適しているかは、興味とレベルによって異なるからです。ボンベイの図書館に行って、自分自身で見つけなさい。
 真心をこめて
                               リチャード・P・ファインマン
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◎感想:ファインマンの人間的な優しさがにじみ出ている手紙。「今は一問も解けなくても驚かず、気楽に、まずはわかることだけを読みなさい。そうすれば、知識が自然に身についてきます。」という件(くだり)は、物理を勉強して挫折しそうになる人(自分も含めて)への勉強の指針と大いなる励ましを与えてくれるではないか。

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<河合隼雄・中沢新一:「ブッダの夢」> 2014.12.12   
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●河合:ところで実際にやっておられた時に、いわゆる超常現象とか超常体験などはありましたか。
●中沢:遊体離脱といわれる現象は何回もありました。
●河合:やはり見えますか。
●中沢:見えます。それこそ技術がありまして、マニュアル通りにやるとできるんですね。
●河合:マニュアルをもっているというのはすごいですね。
●中沢:日本にもけっこう上手なチベット僧がいて、本山博さんの研究でやった時には、日本人も四十人くらいやりましたから、何人かは同じような体験をしたんじゃないでしょうか。あれも面白い技術ですね。
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◎感想:遅ればせながら本山博さんという方をこの本で初めて知った。ネットで調べると、精神的エネルギーと身体的・物質的エネルギーの相互作用のメカニズムを電気生理学、生物物理学、量子力学的方法を用いて解明することなどを研究目標にされているとのことで、大変興味をそそられる。

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<リチャード・P・ファインマン(渡会圭子・訳):「ファインマンの手紙」> 2014.12.5   TOP
●「物理学だけで人格を形成できるわけではなく、それ以外の人生経験からも学ばなければなりません」
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◎感想:物理学というのは難しい学問なので、そんな難しい物理学に精通している高名な学者は人格的にも優れていると普通思いがちになる...が、どっこい人間というのはそんなに単純にはできていない。ノーベル賞を受賞した物理学者の伝記などを読むと、華々しい業績と人格の間には特別な相関が見られないことが多い。人格形成にとっては、日常のこまごましたことも含めたいろいろな人生経験に勝るテキストはないということかな。もちろん、物理学に限らず、学問を学ぶということは人格形成の味付けには有効と思うが、いかがだろうか。

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<中沢新一:「三万年の死の教え」> 2014.11.15   TOP
●老僧の告白 「人は百年もたたないうちに死んでしまう。長寿を得たものも、確実に死んでいく。かたちのあるものは、滅びをむかえ、集まったものは散り散りになっていく。空に生まれ、空に死んでいく。人は皆、わたしも、あなたも、この現象世界の中のどこにも、羽を休める足場をみいだすことのできないまま、宙に舞いつづける蜂のようなものだ(*1)。財産も、家族も、肉親の愛情も、死のときには何の役にもたたない。あなたはそれをすべて捨てて旅立つのだ。だから、わたしたちが生きているうちにすべきことは、自分の心を成熟にむかわせることだけなのだ(*2)。そのことの重要さが、誰にも訪れる死の時に、わかる(*3)」
(*1)はじまりも終わりもなく、土台も足場も根拠もない「空」の中に単独者として、たった一人で有限の生命を生きるものが人間なのだ、という認識が、チベット仏教では徹底して教えられている。
(*2)人生の意味を、チベット仏教ではこういう「空」観にもとづいて考えている。
(*3)人はすべて一人で死んでいく、そして自分というものが「空」にあらわれた一人ぼっちの単独者であることを、死はすべての人に教えるのだ。
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◎感想:中沢新一はチベット密教を修業した高名な宗教学だが、恥ずかしながら河合隼雄との対談集ではじめて中沢さんの存在を知った。件の本は、晩、布団に入って何となく読み始めたが、ついつい惹き込まれた。仏教は通常釈迦が創始者とされているが、起源はもっと古く、般若心経の「空」の体験的意味の把握はすでに旧石器時代にまでさかのぼれるらしい。ともかく人間の叡智というものは科学の進歩で埋まってしまっているような気がするが。。。

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<岸田繁*:京都新聞・現代の言葉「没個性のすすめ」(2014.11.4)> 2014.11.9   TOP
●人が成長する過程で誰もが「個性」との付き合い方という壁にぶち当たる。「個性」というある意味曖昧な物言いが、いい意味でも悪い意味でも、人生を複雑なものにしていく。「個性を伸ばす」ことの大切さも必要だが、実は「個性を消す」ことの大切さを学ぶことこそが、「個性」を生かす方法だと思っている。
 街に住んでいる人がいれば、山に住んでいる人もいる。子供がいれば老人もいるし、恋をしている人も闘病中の人もいる。放っておいても、人なんてそれぞれ違うわけだけれども、お互いの立場や性質の違いを乗り越えて、我を忘れて「仕事」や「目標」に取り組んだりすることがある。我を忘れる、という言葉が意味するものは、
自分の立場や気持ちはさておいて、その他大勢と同じように目の前の物事に取り組んだ、ということである。人と同じことに取り組めば、人と同じ気持ちになるかもしれないし、まったく違う気持ち抱くこともあるかも知れない。そこで生まれたそれぞれの気持ちこそが「個性」と名付けられるべきものであり、自己表現において重要なことだと思っている。
 いじめや紛争は、立場の違うもの同士による想像力の欠如によって起こるものだと思っている。痛みがわからない、価値がわからない、ということは立場が違えば当然のことで、価値観やルールは千差万別である。そんな中、唯一の解決方法は相手の立場に立って物事を考える、あるいは考えようとすることであり、相手の立場に立って想像力を働かせることがとても重要である。優れた音楽や絵画は受け手の想像力を極限まで引き出すことができる。喜びや悲しみを心の中に生み出してくれる。それらの作者はおそらく多くの凡庸な人々の気持ちを知っている。それは「個性」だけでは生み出すことができないものだ。
*ロックバンド「くるり」のメンバー、作曲家。
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◎感想:“人の病は三年でも辛抱する”という諺(ことわざ)があるように、相手の立場に立って想像力を働かせるということはなかなか容易じゃない。が、ちょっと立場を変えて考えてみると案外その壁も乗り越えやすいかもしれない。そういうことで内的経験が拡がり深まっていく。。。大抵「我性」を「個性」と勘違いしている節がある。「個性」は「没我性」を通してはじめて活きてくるということだろうか。

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<立木康介:京都新聞・文化欄(2010.1.20)> 2014.11.4   TOP
●現代は「露出する心の時代」といえる。本来なら個々の中にしまっておくべきことを語り、それをもてはやす文化。過去の万引きをテレビで語り、占い師に私生活を打ち明けるタレント。ブログで犯罪行為を告白する若者。資本主義の中で最後に残っていたのが人間の内面、そこに投資を始めている。過剰なまでに心について語るよう仕向けられ、促されている。村上春樹の言葉を借りるなら『自開症』。その根源は、抑圧が働かない世の中になっていること。抑圧とは我慢するシステム。タブーがなくなり、抑圧が機能しないと、自らの享楽を見せびらかす傾向になる。現実では、快楽の追求を一旦中断して満足に至る経路を頭の中で組み立て、折り合いを付けなければならない。それが思考だ。抑圧がなくなった時代には思考もない。フランスの精神分析家ジャック・ラカン(1901~81年)は、抑圧について、『あることを言わない代わりに別の表現をすること』とした。抑圧の不在は、別のことを言う表現をできなくした。メタファー(隠喩)がなくなり、その行き着くところは言語の平板化、心の平板化をもたらす。
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◎感想:最近、尊厳死の実行をブログで公表し、尊い命を自ら断った外国の若い女性がニュースになっていた。なんでわざわざそんなことをブログで、その意図は一体どこにあるのかと思った矢先、以前切抜きしていた立木康介さんの記事を思い出した。難しい時代になってきたが、いつまでも加速するものでもないだろう。


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<広上淳一:京都新聞夕刊・現代のことば> 2014.10.7   TOP
●「言葉の暴力」とは、いわゆる人格を否定するような「暴言」の類だけではなく、言葉を発する側にとっては「なにげなく」ても、受け取る側の深層心理の中で影を落としているような言葉を短絡的に投げかけた時、柔らかいはずのその言葉はどんな言葉よりも鋭利な刃物となり、相手を深く傷つけるということを認識しなければなりません。もちろん言葉を発した方も、受け取り手を傷つけようとなどという気もちは全くないわけですから、この事故は不幸の何物でもないのです。この事故を防ぐもの、それは相手の感情を思いやる「視野の広さ」。車の運転同様、常に「かもしれない」と感じることなのだと思います。
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◎感想:おっしゃる通りで、常に視野の広さを保たねばと自戒。。。


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<大森曹玄:「参禅入門」> 2014.10.4   TOP
●昔、ある所に大層、念仏に熱心な婆さんがいた。朝から晩まで、起(た)つにつけ坐るにつけて南無阿弥陀仏と唱える。お寺詣り、法話聴聞も欠かしたことがなく、世間からは念仏婆さん、念仏婆さんと呼ばれて、いわば妙好人の代表のようにいわれていた。ところが、その婆さんが死んだら、あろうことか地獄の黒門へひっぱり込まれてしまった。婆さんビックリ仰天、泣いて閻魔さんに訴えた。「私は娑婆にいた時は念仏を欠かさず、念仏婆(ねんぶつばぁ)といわれたものです。その念仏を車に一ぱい積んで参りましたから、どうか極楽へやってくださいまし。」
 閻魔さんは、鬼どもに命じて婆さんの持ってきた念仏を調べさせた。鬼どもが婆さんの念仏を一枚一枚調べてみると、ああ孫が小便する南無阿弥陀仏、おお火が燃える南無阿弥陀仏、あっ危ない南無阿弥陀仏、暑いあつい南無阿弥陀仏といったあんばいで、大八車一ぱいに積み込んできたのはみんな空念仏ばかりだった。そこで、あやわや地獄行きの判決が下されようとしたが、何やら箕(み)の底でごとごとというものがある。鬼どもが何だろうと取り出してみると、どうやら実のありそうな念仏である。ハテナと天眼鏡か何かでよくよく調べてみたら、それは婆さんがまだ若い娘のころのある夏のこと、例のようにお寺参りをするために広い野原に通りかかった時、一天にわかにかきくもり、大夕立がやってきた。ごろごろぴかぴか、雷鳴もひどい。婆さん生来雷ぎらいときているので恐ろしくてたまらず、一心不乱にナンマイダ、ナンマイダと念仏しながら道を急いだ。すると、一段と物凄い稲光りがしたかと思うと、がらがらぴしゃっと目の前に大きな音と一緒に雷が落ちた。そのとき、婆さん思わず大声で「南無阿弥陀仏」と一所懸命に絶叫すると、そのまま意識を失って倒れてしまった。この一声の念仏だけが実の入ったもので、あとは全部カラ念仏だったわけである。しかし、婆さんは、この一枚の念仏の功徳で、閻魔さんから極楽行きが許された。
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◎感想:有名な念仏婆さんの話である。

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<大森曹玄:「心眼」> 2014.9.26   TOP
●むかし栂の尾の明恵上人は、道端に咲いている小さな花に対して合掌し、「この一茎の花、不可思議・不可説・不可商量なり」と、落涙されたといいます。この小さな花は、いったい誰が咲かせたのか、なぜそこに咲いているのか、人間の浅はかな智識では、とても量り知れるものではない、と大いなる生命の営みに感激したというのです。
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◎感想:人間の智識というのはことほど左様に高が知れている。このことに気づき、傲岸(ごうがん)にならないことが大切なことか。

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<永田和宏:一歩先のあなたへ「自己評価という落とし穴」(2014.9.24京都新聞)> 2014.9.24   TOP
●「○○ちゃんを見てごらんなさい。それに較べてあなたは」などと言われ続けると、いやでも他との比較のなかでしか自分を見られないようになるものだ。自分を客観的に見るのは悪いことではない。しかし、それがいつも誰かとの比較であったり、合格ラインからの距離としてしか意識されていないとしたら、ひたすら後ろ向きのそんな自己規定は、自らの可能性をあらかじめ封印無化するという点で害にこそなれ、益するところは何もない。評価というものは、良ければ自信を持ってさらに励み、悪ければ、それを分析して克服できるように対策を練る、そいういう使われ方をした場合にのみ意味を持つ。第三者による評価なら、それは他人が勝手にやっているのだから、俺には関係ないよと突き放しておくこともできる。だが自己評価となると、自分で下した評価なのだから、どうしてもそれに縛られざるを得なくなる。そんな余計な縛りは何の意味もない。自分を評価しようとしないで、あえて自分を宙づりの状態の不安のなかに置き続けること。そんな<未決定状態>こそが、何かのきっかけがあったとき、一気にその何かに邁進(まいしん)する推進力となるのである。「自分はまあそこそこだから」という自己規定からは、そのような推進力は生まれない。自分の可能性は、自分ですらまだ知らないものだと、いつもいつも思っていて欲しいのである。
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◎感想:“自分の可能性は、自分ですらまだ知らない”というのは至言。うわべだけを自知して自縄自縛(じじょうじばく)に陥ってしまうではあまりにも能がない。自分という生き物に対して申し訳が立たない。。。

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<吉本隆明:「ひきこもれ」> 2014.9.21   TOP
●「とにかく教師は生徒に向き合うべきだ」という考えには、子供を「指導」してやろうという、プロを自認する教師の思いあがった気持ちがあります。そんなことをしなくても、毎日後ろ姿を見ているだけで、子供はいい先生を見抜きます。自分の好きな先生を見つけて、勝手に影響を受けていくのです。それを向き合って何かを伝えようとか、道徳的な影響を与えようとするから、偽の厳粛さが生まれ、子供に嫌な圧迫感を与えるのです。
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◎感想:知らず知らずのうちに上から目線になっていることに注意しなければ。。。お飾りの厳粛さは感度の鈍い阿呆な大人でもすぐ気がつく。シラケるが面(つら)だけは厳粛を装うことに。

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<日高敏隆:「セミたちと温暖化」 “カラス対策”> 2014.9.18   TOP
●とにかく何とかして餌を手に入れることに、鳥たちは猛烈な執念をもっているのである。それは当然なことであって、そうでなければ彼らは生きていかれないはずだ。それと同時に、鳥たちは危険を避けるために常に細心の注意を払っている、なにか目新しい怪しげなものが出現したら、そこには絶対近寄らない。けれど彼らはそのものの「振る舞い」をたえず観察しており、それが無害なものとわかったら、もうそれを気にしなくなる。つまり慣れてしまうわけだ。どの動物についても同じことであるが、とくに鳥については、彼らのこの高い学習能力がつねに問題となる。
町のゴミの上にかける網や覆いにカラスの嫌う色を用いた場合にも、カラスはこのからくりをすぐ見破ってしまう。中が見えない覆いがかけられていても、カラスたちはその中に何かがあるだろうと察知している。
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◎感想:ゴミを食い荒らすカラスは人間の目の敵(かたき)にされるが、カラスは生きていくための餌を探しているだけ。カラスの子育てシーンなどを見れば “いや可愛い!”ということに。。。人間というものは所詮得手勝手なものである。

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<山内恭彦:「雑叢 一物理屋の随想」> 2014.9.16.   TOP

●画描きなら、自然にある物なら何でも描けると思うのは大きな誤りであろう。物理についても同じようなことがいえる。物理だって目の前の自然を何でもかんでも説明できるわけではない。偉い物理学者でも、三歳の児童の問いに答えられないようなことがある。これは何も予備知識がどうのこうのというのではなくて、いくらむずかしい理論を使っても実際説明できないことがあるのである。
物理の選択の規準は、それが数学的形式に表現されることである。だから、物理理論が最後に数学の式に頼らなければならないのは、初めからそいういうものだけを取り上げているのだから、当たり前の、わかりきったことである。
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◎感想:物理学の一断面を見事に切り割っているというか、なにかスッキリしたものを感じる。

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<内山興正:「大空が語りかける」“深さ” > 2014.9.14   TOP
●何か面白いことはないものかと 外へ向かって追い出すと
 いつしか小人(こども)のように 愚図らずにはいられなくなる
 じっと物足りぬまま 物足りぬ味の深さを 凝視(みつ)めていると
 そこには 青空のように 底知れぬ深さがある
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◎感想:桶の底が抜けるということはそういうことか。

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<朝永振一郎:「滞独日記」一九三八年四月九日~一九三九年五月二十八日> 2014.9.13   TOP
●十一月二十二日 仕事の行きづまりをうったえて、少しばかり泣きごとを仁科先生に書いたのに、先生から朝がたに返事がきた。センチだけれどもよんでなみだが出てきた。いわく、業績があがると否とは運です。先が見えない岐路に立っているのが吾々です。それが先へ行って大きな差ができたところで、あまり気にする必要はないと思います。またそのうちに運が向いてくれば当たることもあるでしょう。小生はいつまでもそんな気で当てに出来ないことを当てにして日を過ごしています。ともかくも気を長くして健康に注意して、せいぜい運がやってくるように努力するよりほかはありません。うんぬん。これをよんでなみだが出たのである。学校へ行く路でも、この文句を思い出すごとに涙が出たのである。
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◎感想:クライン・仁科の公式で有名な現代日本物理学の父といわれる仁科芳雄の慈父心に満ちた姿勢に何度読んでも感激。

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<内山興正:「自己」~宗派でない宗教~ “第四話・自己について” > 2014.9.12   TOP
●では、そのような佛教のおしえる、真実の自己とは何か?-- これは数量的に言えば「一」だということです。自己が二人いるということは、分裂症でもないかぎりありませんから。宗教的自己とは、この一としての自己をハッキリすることでなければなりません。
ところでこのように「自己とは一である」ということを前提してみますと、この「一」ということについて、
自己=1=1/1=2/2=3/3・・・・=人類/人類=一切/一切
と、こういう式がなりたちます。この式は、一見何でもないようにみえますが、これを自己にあてはめるとき、じつにスバラシイ公式なのであって、-- ニュートンやアインシュタインも、ずいぶん大した公式を発見したそうですが、しかしおそらくわたしの発見した、この「自己の公式」くらべたら、じつは、くだらない発見でしかなかったにちがいありません。というのは、ニュートンやアインシュタインの公式は、たんに物理学上の公式でしかありませんが、わたしに発見したこの「自己の公式:は、それこそ「人間の生命の公式」なのであり、人間の到達しうる、そしてぜひとも到達せねばならぬ「究極地の公式」だからです。私のこの公式の発見は、じつに超ノーベル賞ものともいうべき、たいした公式なのです。
自分は一人だということは、だれでもみとめているわけですけれど、それでいて、おたがい「自分は一人だ」ということを実践しているひとは、まったく稀でしかありません。いつも 「勝った敗けた」 「得した損した」 「愛する嫌う」 など、そういうことだけで生きているひとは、早い話がけっきょく「二分の一の自分」だけしかみていない人です。「相手に対する自分」でしかないのですから、勝っても敗けても、得しても損しても、「二分の一」です。
「一分の一」イクオール「二分の二」イクオール「三分の三」イクオール「四分の四」--さらにこれが延長されると、自己は「一切分の一切」となります。「一切分の一切」の自己とは、今の社会にいきているかぎり、社会にすみずみまで思い至る自己ということでなければなりません。
「一切に思いいたる」とは、「思いやりの心」をもち、「いたわりの心」を持つことです。「思いやり、いたわりの心」をもって、すべてに通じている自己こそ、「一切分の一切」-- 真の「一としての自己」だということができます。
だから「自己をもつ」ということは、「我をはる」ということではなしに、じつに慈悲心にみちみちた人間となることであり、佛教の言葉でいえば「一即一切(いちそくいっさい)、一切即一(いっさいそくいち)」の自己たることです。
われわれとしては、ぜひともそのような自己をもった人間であるように、つとめたいものだとおもいます。
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◎感想:通俗禅では悟り、悟りとうるさいが、「一即一切・一切即一の自己」の自覚と行動ができているかというとずいぶん怪しい。

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<朝永振一郎:「学問をする姿勢」 “原子研究の町-プリンストンの一年-”> 2014.9.12   TOP
●この研究所のあまりにもアカデミックな空気は、そういう伝統のない東洋の島国のガタピシした環境で育った人間にとって時々たえられない圧迫感を引起す。とくに仕事がうまくいかないときにそうである。こういうときには学問などというものがひどく灰色にみえてきて、学問の圧迫感のために研究所に行くのにひどい抵抗を感じる。研究所へ向かうはずの足が反対の黒人町の方に向かってしまうのはそんなときだ。
学問の圧迫感から研究所をエスケープして黒人町をあるくのは、この東洋人にとって何となく親近感を感じるからである。
通行する人々はおよそ学問などど縁のない人たちばかりである。通りでは子供たちが大勢遊んでいる。学問が灰色に見えれば見えるほど、通行人の顔が親しげに、遊んでいる子供たちがかわいらしく見える。
学問が灰色にみえるとは、学問などは人生の一大事でも何でもないと心が主張しだすことである。アインシュタインくそくらえ、という気もちのおこることである。しかしよく考えてみると、これは仕事がうまくいかないからのことであろう。 
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◎感想:白皙の秀才といわれた朝永さんでもそういう気もちが起こるんだなぁと。。。飾らず素直に自分の心を表されるのがなかなか憎い。


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<藤原正彦「日本人の矜持」 ”「日本人らしさ」をつくる日本語教育” 斉藤孝氏との対話> 2014.9.11   TOP
●理数離れが言われていますが、これも子供たちに我慢力がなくなってきていることが関係していると思います。数学の問題を解くためには、五分、十分、一時間、ときには一日ずっと考え続けなければなりません。我慢力がなくて、一分考えて解けなかったらポンと捨ててしまうのでは、数学力はまったくつきません。私でも、一月考えても、二月考えても解けない問題に向き合い続けていると、ろくな才能もないくせに数学者になんかなっちゃって、とか心の底から囁(ささや)きが聞こえてくる(笑い)。それに耐えなければならないわけです。
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◎感想:小生なんかは心の底からの囁きが絶え間ない。その囁きにじっと耐えていても別に誰にも迷惑をかけないからいいようなものだが。。。

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<昭和六十二年二月四日・NHK教育テレビ 「こころの時代」”達磨” >  2014.9.10   TOP
●松村:  やっぱりこれは確かに知識で、こういうふうに平田老師からお話を伺って、「あ、わかった」というものではなくて、私自身が厳しい坐禅なり、修行を積んで掴むものなんですね。 
平田:  私が今話をしているのは、私の体験を話しているので、あなたの体験を話しているわけじゃないんで、あなたの体験はあなた自身で体験するより仕方がない。これは最後のところで、それ以上親切にしろと言ったってできやしない。禅というのは、そういう立場に立っている宗教ですね。
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◎感想:倚りかかってくれば突きはなす、なるほど本当の親切とはそういうものなのでしょう。